陶磁器 代理販売者
「三川内(みかわち)」は長崎県佐世保市長崎県佐世保市東部に位置する、400年続く焼き物の里です。
【三川内焼のルーツ】
16世紀末、日本で天下統一を果たした豊臣秀吉は、明国制服のために朝鮮に出兵し、配下である西国の大名たちが動員されました。これらの大名の中で、唐津の藩主・波多三河守(はたみかわのかみ)平戸藩の領主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)が三川内焼発祥の鍵を握る人物です。戦の中で秀吉の怒りを買った波多三河守は領地を没収され、唐津にいた陶工たちは周辺の地域へ離散していき、三川内に落ち着く者もいました。一方、平戸藩の領主・松浦鎮信(まつらしげのぶ)は、帰国にあたって朝鮮の陶工を100人ほど連れて帰りました。これらの陶工が現在の長崎県平戸市に開窯しました。 これら2つの流れで三川内にやってきた陶工たちによって三川内焼が作られてきました。
【御用窯としての歴史】
1650年(慶安3年)ごろには御用窯の体制が確立していき、平戸藩の庇護のもとで江戸幕府への献上品としても納められるようになりました。このころには磁器の原料である陶石と陶土の調合に成功し、磁器の生産が本格化して透かし彫りなどの細工が試みられるようになりました。
【海外における評価】
天保元年(1831)には、コーヒーカップ等の輸出が開始されました。江戸時代の日本でコーヒーが飲まれることはかなり稀なことだったでしょう。陶工たちはコーヒーカップやワインカップを熱心に開発し、みかわち焼の技術は瞬く間にヨーロッパで高い評価を得ました。
三川内焼の窯元のひとつである嘉泉窯の作品を取り扱っています。
窯元に足を運び、数ある形や絵付けの中から、現代人の生活になじみやすいシンプルなデザインをセレクトしています。
[全 18作品]
[全 1件]
三川内焼 薄瑠璃立縁丸皿 プレート皿
とても使いやすくて素敵なお皿でした。発送もスムーズで、すぐに手元に届きました。ありがとうございました!